2010年01月09日

引っ越します

ここにブログがある理由。
それはこの記事の下にある、岡田斗司夫さんの講演に行ったことがきっかけです。
ここで岡田さんから「ブログを書こう」という提案がありました。
講演自体の詳細なレポートは他のブログに譲るとして、ブログ執筆の際には、当日の講演レジュメも提供されました。

そのレジュメを見せてもらう為に起したのが、このブログです。
レジュメを読んで記事を書いた時点で、ブログを起した目的は既に達成していました。
イベントに参加した人達からのアクセスが無くなった頃、このブログも静かに終わろう。そう考えていました。

しかし蓋を開けてみれば、日々ブックマークをいただいている状態。

そんな人達に、何か還せないか。
ブログが嫌いの僕が、ブログを続ける動機。
ようやくそれが見えてきました。

方針に合わせて、ブログを引っ越ししようと思います。


新しいアドレスです。

「ねこまんまの創り方」

同じデザインからスタート。タイトルは新しくなります。

最初の岡田さんの講演記事はここに置いていきます。
この記事は岡田さんのブログからもリンクされているので、フォローの為に当面の間はここに置いておきます。
読者対象がかなりタイトな記事なので、引っ越し先にまでは持っていかなくてもいいかなと、今は考えています。達者で暮らせよ。

それでは続きは移転先で。




【関連する記事】
posted by 大僧正 at 01:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 宿題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月07日

提出文

久しぶりに岡田斗司夫さんのイベントに行った。

僕は岡田斗司夫さんという人が好きで、この人のイベントにはなるべく行くようにしている。話以前に、この人の生き様が好きなんだ。
とか言いながらも最近は仕事で所謂オタク文化とは離れた世界にいた所為か、岡田さんの講演にも行かなくなっていた。
久々にご本人の講演を聴く機会に触れ、僕の中でこの人の存在がまた大きくなっている。人間って単純だよね。

ところが、だ。
困ったことに、この講演で岡田さんから「ブログを書こう」という話が出てしまった。
あんまり気が進まないけれど、岡田さんの善意から来る言葉だったので、とりあえず書くことに。


岡田斗司夫さんと言えば、世間では「レコーディング・ダイエット」の人ではないだろうか。

僕もこのダイエットで15kgくらい痩せて、「デブ」から「優男」と言われるようになった。
20代で「優男」という言葉をかける人が周りにいるって、どうなんだろう。
ちなみに太っている時に言われていた言葉は「癒し系」。どっちも都合のいい言葉だ。

しかし痩せたはいいが、こないだ健康診断で身長を計ったらなんと1.5cmも縮んでいた。
痩せて身長が伸びるという話は「いつデブ」に出ていたけれど、痩せて縮む人もいるようだ。
でも一番驚いたのは、背が縮んだのに大して哀しくもない自分自身だったりして。

そんなことも思い出しながら、久々に岡田さんのレコーディング・ダイエットの記事を見たら、
過去ログにレトルトカレーの紹介記事を見つけた。

http://putikuri.way-nifty.com/blog/2009/04/post-9d1b.html

記事で紹介されているカレーがどうしても食べたくなったので、
ブログで紹介されていた「8種の彩り 野菜カレー」を、近所のスーパーをハシゴして買ってきた。

食べてみたら、美味しかった。
美味しかったけれど、「カレー曜日」が大好きな僕からすると、もっとこってり感が欲しい。
美味しいカレーなのに、僕の思うカレーのリアリティにはちょっと遠かった。

このカレー、一食分で100kcalとのこと。レトルトカレーにしては、低カロリーらしい。
大手のレトルトのカロリーを調べてみたら、だいたい200〜250kcalが相場。
先ほど紹介したカレーと比較すれば倍のカロリーだけど、その差は100kcal。
少なくともレコーディング・ダイエットという方法論でダイエットしている限りで言えば、
100kcalの差なんていくらでも他で調整できる範囲。毎日カレーが食べたいわけじゃないから、
たまに1000kcal超えたとしても、平均値で一日1500kcalにすればオーバー分は解消できる。

特にカレーのように「私のカレー」観みたいなものがそれぞれにあるものは、
イメージした味、そのものズバリを食べない限り、ダイエット中はなかなか満足感を得られないんじゃなかろうか。
ただでさえ身体が飢餓感を訴えているから、元の要求に少しでも適わないと身体は「ドカ食い」という反逆を企む。
親しまれている料理ほど、低カロリーにするのは難しいということなのかもしれない。
でもこういう商品を創っている過程って、とてもクリエイティブな時間なんだろうなあ。



冒頭で書いた岡田さんの講演では、「人生の意味」や「恋愛の経済学」という話題で話を聞いた。
ご本人からレジュメも読ませていただいて、自分でもメモを取っていたのだけれど、
蓋を開けてみれば、100kcalのカレーに「こってり感が欲しい」等と頓珍漢ないちゃもんをつけ、身長が1.5cm縮んだ話などをしている。

でも、これも情報と情報の結節点に人間が居る醍醐味だと思います。
この文章だって、岡田さんから話を聴かなかったらネット上には存在しなかった。
僕はブログを書くのがそもそも嫌だったから、岡田さんに提出依頼をもらわなかったらこの話も書かなかった。

講演のレジュメや録音物をそのままペーストすることは誰だって可能だけれど、
僕は今のこの身体を通して咀嚼したものをどう表現するのか、それをこの人生では優先させたい。
Aを受けてAを出すなら人間でなくとも良いわけで、Aを受けてA’やCに展開できることにこそ、人間が人間として生き続けることの当面の根拠にも繋がると思うから。
身体を通して受信と発信を行う以上、咀嚼を介したことによる揺らぎや誤解は避けられない。
そこに人間の居場所があるのだと僕は思う。

岡田さんから人生の意味を聞く→カレーの話→イデの発動とか、
個々のワードと直接の関係性がない、解釈の流れから来る関連性の紐付けは、ネット広告でもまだできていない。
人と人との関係がテンセグリティー構造に似たようなものだとするなら、ワードとワードの結節点に入る解釈に自覚的になることで、
「わたし」という存在のリアリティは増していくのではないでしょうか。
だからこそ、個人は意思を発信するのだと思います。

しかし結節点にいる個々の意思が文明の生存本能に左右されるものであれば、
「わたし」の意見を発信するだけでは、存在に対するリアリティの飢餓感は埋めきれない。
「俺様」も「批評」も根っこにあるのはリアリティに対するストレス。
ならば頭の良い人のブログが「批評」や「俺様」路線に比重が偏るのは必然的な流れではないだろうか。
だって馬鹿はそんなものにストレスを感じないもの。

気をつけていきたいのは、ストレスや不満によって行動を起す人間の仕様に対して、ブログというツールは、あまりにも意思の発信が容易にできてしまうところ。
人に喜びを与えることもできるし、殺すことだってできてしまう。

ブログを使うということは、例えるならイデオンに乗っているようなものだ。
個々のブログは合体する前のイデオンのパーツ。
個性を発信しているようで、遠めで見ると実はフォルムも似ている。
合体したイデオンは、個々の意思の総体。その総体をコントロールする文明が、
我々に関係性をもたらしている。

文明を操作しているように見える操縦者ユウキ・コスモは、特定の個人のように周りからは見えているけれど、
実は実体をもたないイメージの存在で、そのイメージ投影しているプロジェクターは、他ならない私達自身だったりする。
ユウキ・コスモをユウキ・コスモたらしめている姿やキャラクター性は、投影者達の最大公約。
私達が認識するユウキ・コスモは、文明が我々をコントロールする為に見せる蜃気楼だ。
文明に見せられているとは言え、蜃気楼には僕らの意思が反映されている。
だから時にイデオンを疎ましくも思う。

しかし哀しきかな、ユウキ・コスモはミームを残す為にイデオンが必要。

共依存の関係ではあるけれど、我らがユウキ・コスモの実体は文明「イデオン」に所詮は操縦されている状態。
結局は文明の意思に逆らえない。
あたかもユウキ・コスモがイデオンを操縦しているように思わせ、適当に操縦者の顔を立てながら、イデオンは確実に宇宙の中心になっていく。


この何だかよくかわらない乗り物を与えられた私達。

その先に僕らの望む世界があるかどうか。それはわからない。
いくらみんなでこの世界に立ち向かったところで、結局は「その時」がきちゃって、理屈民族の思考は全てパァになるかもしれない。

それでも、まずは発動しない方法を、可能な限り探していこう。
素っ裸になって抱き合うには、まだ早い。


この機会を与えてくれた岡田斗司夫さんと、
こんな文を最後まで読んでくれたあなたに、心から感謝します。


ありがとうございました。
posted by 大僧正 at 22:15| Comment(0) | 宿題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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